昭和45年(1970)、英夫の次女・祥知子と本田文昭が結婚。しばらくは東京に居を構えていた二人ですが、昭和49年(1974)には長崎に戻り、文昭は本田商会に勤務。次第に中心的な存在になっていきます。
そして平成2年(1990)、先代の引退と同時に、文昭が代表取締役になりました。
「私たちが結婚式を挙げた日の朝、母が言うのですよ。『天井にウドンゲが咲いているよ、これは吉兆だわ』と。この花が咲くのは大変めずらしいのだそうですね」。
英夫には娘ばかりが5人。本田商会を次世代に継いでいくには、誰かがお婿さんを迎えなければなりませんでした。四女の栄子は語ります。
「でも案外、その方がよかったんじゃないかと思います。もし私たちの兄弟で男性がいて、その人が不出来な人だったら、この会社はとっくにつぶれていますよ。いい方が外から来て、そしてしっかり会社を継いでくださったから、今があるのではないでしょうか。私たちはよくそんな話をしています」。