大正3年
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船具商本田商会(佐世保市本店)長崎支店(長崎市江戸町)として開設。 |
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昭和18年
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県内の船具商は国家施策により企業統合される。 |
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昭和18年5月
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長崎支店長本田重次郎がカーバイト販売部門を分離独立し、本田商會設立。 |
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昭和18年6月
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長崎県カーバイト配給所の認可を受け切符制度にて営業開始 。 |
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昭和20年8月
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長崎原爆で事務所壊滅(長崎市駒場町/現在の松山地区)。本田重次郎夫妻も死去。 |
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昭和20年11月
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長男本田英夫が事業を承継。 |
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昭和23年2月
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長崎市大黒町(長崎駅前)に新店舗を建設。 |
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昭和23年3月
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カーバイトの他に高圧ガス、溶接材料を販売開始。 |
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昭和30年6月
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地質調査、ボーリング事業を開始。 |
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昭和34年6月
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プロパンガス、産業機械、工具、副資材等を取扱品目に追加。 |
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昭和57年7月
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諫早市津久葉町諫早中核工業団地にガスセンター、諫早支店を開設。 |
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昭和57年8月
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炭酸ガス充填及びドライアイスの製造開始、高圧ガス製造事業所の認可。
及び医療ガス販売許可の認定を受ける。ブライダル備品販売を開始。 |
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昭和61年2月
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本田商会を株式会社本田商会に改組。本田英夫代表取締役に就任。 |
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昭和63年5月
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長崎市宝栄町に本社ビル建築移転。 |
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昭和63年5月
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本社ビル賃貸マンション併設。 |
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平成元年2月
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諫早に横浜エイロクリップ(横浜ゴム子会社)の認定工場、倉庫建設。油圧ホース製作加工を開始。 |
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平成元年9月
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諫早に酸素充填工場を建設。支店とガスセンターを統合し、諫早事業所とする。 |
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平成2年2月
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長崎市富士見町にビル購入。本田第二ビルとして賃貸マンションを拡充。 |
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平成2年4月
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本田文昭代表取締役社長に就任。 |
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平成3年10月
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ホンダメカトロリース有限会社設立、溶接機のレンタル、修理開始。 |
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平成5年9月
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諫早に工具展示場[アンテナショップ]を建設、国内及び輸入工具の店頭販売を開始。同時に溶材倉庫、溶接機メンテナンス工場建設。 |
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平成6年4月
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ホンダコーポレーション有限会社設立 機能水の製造販売を開始。 |
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平成7年5月
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氷器の製造工場を建設し、販売を開始。 |
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平成7年5月
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長崎市の氷雪製造業の認可を受ける。 |
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平成10年9月
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本社溶材倉庫建設。事務所移転。 |
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平成12年5月
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長崎県介護福祉用品貸与事業所の認可を受ける。 |
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平成12年9月
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本社ビル内に介護用品展示場開設。介護用品レンタル事業開始。
飲料水、機能水、メディカルウォーター販売開始。 |
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平成13年4月
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株式会社本田商会を「ホンダガスウェル株式会社」に社名変更。 |
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平成13年4月
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諫早事業所に氷器、機能水製造工場及び会議室を建設。氷器、機能水の製造開始。 |
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平成13年4月
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第二本田ビル全面改装。ペット共生マンション「ぺティオン富士見」完成。 |
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平成17年2月
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諫早事業所にアルゴンガス、混合ガス(マグメイト)の充填工場建設。 |
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平成17年4月
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諫早事業所に窒素充填工場建設 総合ガスセンター完成。 |
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平成17年4月
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ホンダガスウェル株式会社を「本田商會株式会社」に社名変更。 |
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平成19年10月
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佐世保市福石町に「佐世保支店」開設。 |
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平成21年4月
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宅配寿司「銀のさら長崎北店」オープン。 |
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平成21年10月
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宅配寿司「銀のさら長崎丸山店」オープン。 |
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平成22年7月
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西彼杵郡時津町に「時津高圧ガスセンター」 開設。 |
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平成25年4月
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宅配水事業「クリクラ稲佐山」オープン。 |
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平成26年4月
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創業100周年を迎える。 |
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平成26年6月
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創業100周年記念式典をホテルニュー長崎にて開催。この年、記念事業としてゴルフコンペ、津軽三味線コンサート、記念展示会、神戸製鋼所/平尾誠二氏による講演を開催。 |
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平成26年10月
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代表取締役社長に本田郷之就任。代表取締役会長に本田文昭就任。 |
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